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学生時代のこと

大学入試センター試験の日に40年前を

 2010011601 身近に受験生が居なくなるとどうしてもそのあたりの感覚が薄れて来るせいか、今日明日とセンター試験との新聞記事を見て、もうそんな時期になったかとちょっと驚きでした。 

 振り返ると、私が大学受験したのはちょうど40年前でした。
 当時はセンター試験とか共通一次試験とかいったものは無く、それぞれの志望校での直接の試験のみでした。
 推薦入試はごく限られた存在でしたし、AO入試とやらも無かったですね。(裏口入学などという揶揄する表現もありましたが・・)

 2010011602 国立は、一期校・二期校に別れていて、それぞれ一回ずつ受験のチャンスがありましたが、とにかく私立に比べて受験科目が多かったですね。
 文科系だったので、現代国語、古典、漢文、数Ⅰ、数ⅡB、日本史、世界史、生物、英語の9教科で、いろいろ受験勉強をしなければいけませんでした。

 担任の先生の影響もあり、英語にずいぶん力を入れていました。教科書は1学期で終わらせ、あとは写真のような問題集をずっと授業でやっていました。40年経った今でもそのうちの何冊かは手元に残しています。
 
 たまに読み返していましたが、数年前にTOEICを受けた時も、英語の勘を取り戻すのに役に立ちました。少年時代の詰め込み勉強は意外に記憶に残っているものです。

昭和45年の東京(4)

 2008090700
  愛媛宇和島で18歳までを過ごした私には、鉄道といえば気動車、ディーゼルカーでした。つまり全く電化されてなかったわけですね。
  小学校の修学旅行では、何とSLで宇和島から松山まで5時間近く乗った記憶があります。トンネルに入るたびに窓を閉め、トンネルの数を数えたりしていました。「3丁目の夕日」のような世界です。東京オリンピックの前の年のことでした。

 そんな田舎から初めて出てきた東京での、マ2008090701ジメ大学1年生の鉄道との出会いをいくつか。

 その1) 音もなく動き出す電車に驚きました。ディーゼルカーは ガガーとエンジン音をとどろかせ車体を震わせるようにして動き出すのが当たり前と思っていたので、宇高連絡船で高松から宇野へ渡ってすぐに乗った宇野発新大阪行きの急行電車の静かな発進は驚きの始まりでした。

 その2) 車掌さんが発車の時に吹くホイッスルのけたたましい音にもびっくりしました。ピーっという音は今ではあまり聞きませんが、あのころは警察官でもいるのかと思うようなカゲキな音で、どこでもそうでした。冬の京都で、近鉄や京阪電車で同じように驚いたものです。

 その3) 山の手線がホームに入ってくるときのスピードにも驚きました。ゆるゆるとホームに入るという田舎の風景しか頭に無かったので当然なのでしょうが、60キロくらいでホームに入り始め、減速して10両(当時8両?)をぴたっと定位置に停車させる技術にも感心しました。

 その4) 秋葉原とか渋谷で電車の通っているほうを見ると、まるでビルの中を走り抜けているように感じて、東京では電車も高速道路もえらい場所を通っているもんだなあと不思議に思ったものです。

 その5) 1年から3年の時まで、巣鴨から高島平まで部分開業していた都営地下鉄で通学していましたが、駅から駅までの間、車掌さんがにこやかな声であれこれ案内を語り続けていました。
 当時の国鉄は、「次は巣鴨、ブツッ(マイクの切れる音)」といったぶっきらぼうな車内放送だったりしたので、余計にその丁寧さを新鮮に感じたのかもしれません。

 こんないろんな体験のせいか、時間的余裕のせいか、マジメ大学生はいつしか鉄道ファンに変っていきました。いま風に言うと、「鉄ちゃん」ですね。

(掲載した画像は、「城下町宇和島から」サイトの管理人さんからいただいたものです。予讃線の終着駅である宇和島駅周辺の雰囲気を感じ取っていただければ幸いです)

ロシア語のことなど(4)

 200808312 翻訳家のような名訳は出来ないまでも、辞書を引けばおおよその意味がわかるようになってきて、ロシア文学に少し前向きになりかかったのですが、また難問が出てきました。

 と言うのは、ロシア語だけでは読めないのですね。19世紀のロシア貴族は、格好つけて日常的にフランス語で会話をしていたようで、トルストイの小説にチャレンジしようと思ったら、ロシア語だけでなくあちこちにフランス語が出てきました。
 ヨーロッパ原語は、国が違っても言葉は日本の方言くらいの違いしかないとは言われますが、新たにフランス語を勉強するのはそう簡単な話ではありません。やっぱりロシア文学を原語でというのは無理だなとあっさり諦めました。

 3年になると、大きく分けて、ロシア語そのもの、文学、ソ連事情研究のどれかに重点を置く ようになります。これまで書いてきたように、このややこしいロシア語そのものは気が変になりそうだし、文学は上述の通りだったので、3番目のソ連事情というあたりを勉強してみようと考えました。

20080901 3年の時は広く浅く授業を選び、マジメに勉強しました。比較的興味を持った授業は、ソ連憲法を原語で読む授業、スターリン時代を批判的に研究する東大助教授菊池昌典さんの授業、ソ連の農業集団化関連、東洋大金岡教授のインド思想史・・・。

 もちろん、ロシア語演習などロシア語関連もちゃんと受講しました。作文中心の演習は今でも記憶に残っており、マトリョーシュカ(Матрёшка)の説明文など、今でもすらすら出てきます。3年の時だけは、「優」がいっぱいありましたね。

 卒論を書かないコースを選べば、4年次はほとんど学校へ行かなくてもいいところまで単位を取り終わりました。 

昭和45年の東京(3)

 20080826_2
 四国と東京の食べ物の違いは、時間が経つにつれ慣れて来ましたが、外を歩いていてどうにも息苦しい気持ちが抜けませんでした。

 あれこれ考えていてふと思ったことは、そうだ、東京では山が見えないからだ、ということでした。それまでの自分の身の周りには、常に山がありました。外に出れば山が目に入ることが当たり前の世界から、どこまで行っても山の無い砂漠のような東京。
  
  山が見えない、山が見えないと、何か落ち着かない時期が続きました。山を見るために、八王子や小田原まで出向くようになったのは、上京して半年以上経ってからのことでした。

 写真は、宇和島市の街の真ん中にある宇和島城から見た市内の様子です。どこ見ても山がありました。

 やっぱり自分の中では、これが自然な日本の風景ですね。

昭和45年の東京(2)

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 意外にも青空があった東京でしたが、やっぱり愛媛の生活とのギャップはたくさんあり、上京当初はちょっとおかしくなりかかったものでした。

 まず食べ物です。
 初めての立ち食いソバ屋は、東十条駅の北口出たところにありましたが、そのソバつゆの色に唖然としました。愛媛では讃岐うどんと同じで透けて見えるようなつゆだったので、どうしてこんなしょうゆ漬けのうどんを・・・と思ったものです。

 巻き寿司もそうでした。愛媛では太巻きが当たり前だったものですから、かんぴょうやたくあんだけを巻いた細巻きには、こりゃサギじゃないかと思ったりしました。
 こんな食生活のため、上京して1ヶ月で何キロもやせたような記憶があります。

 美味しんぼのコミックで、東西食文化比較のような企画がよく出てきますが、なるほどと思うことばかりです。

昭和45年の東京(1)

 2008082805 大学時代に少しマジメに勉強したロシア語について3回ほど書いてきましたが、大学へ入って、初めての東京での一人暮らしを体験しました。
 
 四国の片田舎から出てきた東京でのカルチャーショックなどなど、思いつくまま振り返ってみます。団塊世代の方々ならいくらか共感いただけるところもあるのでは。

 入学試験のため、愛媛宇和島から、急行列車(電化してないので電車ではありません)、宇高連絡船、寝台特急瀬戸号を乗り継ぎ、16時間ほどかかって初めてやって来た東京の第一印象は、“意外にも青空がある!”ということでした。

 高村光太郎さんの智恵子抄で、“東京に青空はない”というイメージが強かったのでしょう。王子駅前の飛鳥山公園から見た空は、雲一つ無く真っ青でした。なんだ、東京にも青空があるんだとマジメに思った、18歳のマジメな高校3年生でありました。

  (写真はイメージですが、ほんとうにこんな真っ青な空でしたね)

ロシア語のことなど(3)

2008081901 ロシア語のアルファベット、名詞や形容詞の変化について書いてきましたが、もう一つ頭を悩ませたのが、動詞の語尾の変化です。

 英語だと、動詞の変化は、現在形は三人称単数に“s”をつけることだけ、過去形は一つだけですね。  これがロシア語は、とんでもなくいろいろあります。
 
 わたし、あなた、彼・彼女、私たち、あなたたち、彼ら・彼女らの6パターンの主語により、動詞が変化します。一つの動詞につき6つの変化を覚えなければなりません。
 
 過去形はл(エル)を動詞の後につけるのですが、これも主語が男性、女性、中性、複数かによって、л、ла、ло、ли、に分かれます。
 もちろん規則性はあるので、気が遠くなりそうな話ではないのですが、いろいろ重なってまるで迷路のようでした。

  これらの基礎を少し理解して、やっと辞書引きながら原文の意味をなんとか理解できるようになったのは、約1年後でした。

 写真は、チェーホフの「かもめ」など4大劇の原語本です。意味が大体わかってきても、きれいな日本語に訳すのは至難の業だと思い知りました。
 以前に紹介した神西清さんの翻訳のすごさを痛感しました。

   (断続的にロシア関連の思い出は続きます)

ロシア語のことなど(2)

 ロシア語のアルファベットのことを前回書きましたが、細かいことはともかく、あの独特の字体だけイメージしてもらえば十分です。
 Д(デー)とかЯ(ヤー)とかは、意外にもメールなどの絵文字に活用されているようですね。

2008081601kamome_3  (この画像は、チェーホフの「かもめ」の一部です。クリックしていただくと文字が鮮明になります。)

 さて少し授業が進むと、次に英語との違いにとまどうのは、名詞が男性、女性、中性、そして複数の4つに別れること。ヨーロッパ系言語はみんなそうですが・・・。
 名詞の分け方はやや大雑把に言えば、ナターシャみたいに、アで終わるのが女性、プーチンとか子音で終わるのが男性、オーで終わるのが中性名詞です。
 複数を表わすのにも、英語のように語尾に「s」をつければいいというわけにはいきません。
 
 さらにため息が出るのは、名詞は6つの変化形があります。(主格、生格、与格、対格、造格、前置格)。複数もあるから、ひとつの名詞が12通りに変化することになります。

 名詞の変化に対応して、これにかかる形容詞も語尾が変化します。と言うことは形容詞は、男性・女性・中性・複数の4つの名詞の6つの格変化に応じて語尾が変わる・・・つまり形容詞は24通りに変化することになります。

 もちろん規則性がありますから、ある程度パターンを覚えればそう気が遠くなりそうなことではないのですが、頭の体操のようなところはかなりありますね。

 率直に言って、この国は全体として勤勉な国民性とはとても思えないのですが、言葉は恐ろしく几帳面で複雑な印象です。 (また少し続きます)

ロシア語のことなど(1)

 大統領の任期満了に伴いプ-チン大統領が格下の首相に就任し、これまででは考えられないような若手を大統領に抜擢しつつ、従来の影響力を保ち続けるという、相変わらず不思議な国ロシア。
 まるで総理が官房長官になるような、普通では考えられない人事なのですが・・・。
 
 かつて、ちょっと(かなり)あやしげなソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)という超大国があり、ロシア共和国はその主要な構成メンバーでした。

 2008081001 ロシア語といえば、昔はソ連全体だけでなく、東欧でも公用語となっているかなりポピュラーな言語という感じでしたが、そのあやしい世界の言葉とはそれほど深く考えずに、語学専門の某大学ロシア語学科に入りました。それはもう40年近く前のことになります。

 1980年台終わりに東欧、ソ連が相次いで崩壊しましたが、その時にはそれほどの感慨はなく、ただ、ソ連に関することやロシア語などは化石になってしまった、考古学の領域になった・・・と思ったものでした。
 しかし、ソ連を構成していたロシア、ウクライナ、ベラルーシなどそれぞれの共和国はどっこいしっかり生き延びているようです。

 
 学生時代のロシア関連の雑多な思い出などを断片的に書いていきます。
 2008081002第一回目は、ロシア語の難解さパート1です。

 ロシアに興味持つ若い人に時々出会いますが、よほど必要に迫られない限り、なるべくロシア語は勉強しないほうがいいよとアドバイスしています。

  大学1年の頃は、上の写真にあるような英語とロシア語で書かれたテキストで勉強したのですが、それなりにきちんと勉強してきた英語との違いに気がおかしくなりそうでした。

 まずアルファベットからしてそうです。英語を裏返したような文字もあるし、英語と形は同じで読み方が全然違うものもいろいろ。
 
 たとえばNを裏返したような文字Иは、イーです。Rをひっくり返したようなЯはヤー。ロシア語のHはエヌ(N)で、同じくBは英語のV、さらにГ(ゲー)とかЖ(ジェー)など、これ何???という感じでしょう。近い英語は、GとJです。
 
 この画像には出てきませんが、Pはなんとロシア語ではエルと称し、英語のRなのです。Cはエスと称します。だから旧ソ連を表わすCCCPはエスエスエスエルと読みます。

 アラビア語とかタイ語のように完全に字体が違えば1から覚えるのですが、なまじ似通っているだけに、神経衰弱になりそうでしたね。

 そんなアルファベットの戸惑いからロシア語の勉強が始まったような記憶があります。
   (断片的に続きます)

 

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