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2008年9月

畑も季節の変わり目です

 2008092801 肌寒いような朝に、いつものように畑に出かけました。

 畑の通路に、彼岸花が咲いていました。名前の通りお彼岸の頃満開となり、彼岸が過ぎたらこの写真のように少しずつ終わりに近付いてるようです。
 右手後方の青いバッグは、畑行きの小道具一式を入れているマイバッグです。

 夏野菜をもう少し引っ張っておこうと目論んでいましたが、自然2008092802 の力のほうが先を行きます。茂っていたシソはいっきに枯れて倒れかかり、オクラも葉が枯れ始め、きゅうりも花が咲かなくなりました。ゴーヤも葉が黄色くなり、実もあまり大きくならないうちに黄色くなってきています。

 こういう状況なので、一部を残して夏野菜をほとんど抜き、次に備えてくわで耕して苦土石灰をまきました。
 現役でがんばっている夏野菜は、ピーマン、ミニトマト、インゲンくらいです。2008092803

  いま一番元気があるのは雑草のようです。かなり取りましたが、抜き切れていないのは上の写真を見れば一目でわかりますね。

 かわり映えしない収穫ですが(⇒)、色合いはさすがに夏野菜です。

1年ぶりに大学へ

 2008092701
 昨年も同じ頃に書いていますが、長男が通う大学の「大学と父母との連絡会」に行ってきました。

 毎年この時期に開催されるもので、世田谷のキャンパスに1年ぶりに足を運びました。まず学生食堂で昼食。数年前に立て替えられたせいもありますが、とにかく明るくて広いのに感心しました。

 昔と比べてもしょうがないのですが、30年以上前に自分が通った大学の食堂の十倍を優に超える広さです。

 学部全体での説明会では、学長や学部長からのお話を聴きました。参加者はざっと1000人は超えていたと思います。 

2008092702 その後学科に別れ、さらに学年別に別れ、成績のことや就職のことなどいろいろ説明を受けました。やはり大学の教授の方々は話をすることにすごく慣れていらっしゃるし、基本的に お話好きなんだろうなあという印象を持ちました。

 その後、日本建築学会賞を受賞した建物をさらっと見て回りました。
  
 来春から大学名が変わるとのことで、正直なところ残念な気持ちです。従来の名前のほうがよかったなあと思いますが、仕方ないですね。

鉄道のこと(9) 鉄道博物館

 20080925
  8回にわたって、若い頃の鉄道との出会いを書いてきました。

  やはり年を重ね家族も出来てくると、鉄道や写真にこだわっても居られなくなり、だんだん趣味は子育て、とか言うようになってきました。鉄道は趣味ではなく、単なる移動手段になってしまっていたようです。

 そうこうするうちに30年近く経過しました。

  昨年10月、大宮に完成した鉄道博物館へ行き、SLやブルートレインやボンネット型の特急電車などを見た時、異様にこころ騒ぐところがあり、やっぱり自分はかなりの鉄道ファンなんだなあと思いました。

 そこで、鉄道に惹かれるのはどういうところからなんだろうと、あらためて鉄道にこだわっていた自分を振り返ってみた次第です。
 
 鉄道博物館の開館1周年企画の一つとして、「鉄道・旅・ロマン」というテーマで浅田次郎さんのトークショーも予定されていると新聞で読み、やっぱり鉄道の魅力はそういうところにもあるんだなと思いました。

 鉄道は単なる輸送手段ではなく、旅ごころやいろいろな出会いや別れの風景がよく似合います。 
 次回そういうことを書いて、鉄道シリーズを締めくくることとします。

鉄道のこと(8) 「撮り鉄」

 2008092301「撮り鉄」・・・列車の写真を撮影するのに熱中する鉄道マニアのことのようです。 

  就職してから、カメラ好きな友人と夜明けの富士山や西伊豆の港の風景を撮りにいったりしてましたが、そういった写真と同じように、スナップ的に列車もよく撮影していました。

 上は箱根登山電車、下は複線化されたばかりの横浜2008092302_2線町田・長津田間。右下は、御殿場駅のディーゼル機関車です。

 
 カメラバッグや三脚抱えて撮影スポットに赴き、何時 間も待って鉄道の写真を・・・という本格的なも2008092303 のは、どうも縁がないまま今に至っています。

 

鉄道のこと(7) 「録り鉄」

 20080921lp
 就職して間もない頃、職場にはオーディオマニア、カメラ好き、鉄道マニアなどなどいろんな先輩が居て、もともと好奇心の強かった私は、その影響を受けかかりました。
 
 それらにはまりかかった頃、人事異動で全然違う職場に移ったので、いつしか熱が冷めていってのめりこまないままとなりました。

 まず、「録り鉄」。
 録音機を抱えて、鉄道にまつわる音を録音し、立派なオーディオで再生して楽しむという鉄道ファンのことです。

 テープデッキに集音マイクに・・・と必要備品を考えていると、井上靖さんの「海峡」という小説で渡り鳥の鳴き声を録音してまわるというのを思い出し、かなりその気になりかかったりしました。

 実際には、一度先輩についていっただけで、あとはこの写真のレコード・・・SLの走る音や青函連絡船に貨物列車が乗り込む時の音などを録音したものを、勉強と楽しみを兼ねて買った程度に終わりました。「録り鉄」にはならなかったということですね。

 隣の部屋の声が聞こえるような安普請のアパートで、SLの力強いレール音や汽笛を聴くというのも不思議な気分でした。

鉄道のこと(6) 鉄道雑誌

 2008092101
 「乗り鉄」と言ってもそうそう時間もお金もあるわけではないので、やはり鉄道雑誌を読んであれこれ思いをめぐらせることが大半でした。

 学生の頃からよく読んだのが「鉄道ジャーナル」です。他にも何種類かありましたが、実際に鉄道に乗って書かれた記事のリアルさや写真のきれいさが群を抜いているように感じたからです。

 何十冊も大切に持っていたのですが、2008092102 引越しのたびに何冊かずつ処分し、ついに全てなくなってしまいました。 

 この画像は、鉄道ジャーナルの、昭和46年から52年までの特集記事を再編集したリバイバル作品集で、2001年に発行されたものです。

 昔読んだ懐かしい記事がたくさんありました。

台風通過後の畑

 2008092002 今年1月以降の写真でおわかりのように、全くの素人畑ですから、台風にはひとたまりも無いだろうと覚悟していましたが、幸い雨台風だったこともあり、朝の小雨の中の畑は、何事も無かったかのようなたたずまいでした。

 写真でご覧のように、手前のシソは穂が出て、ピーマンやミニトマト、左手のナスも枝が伸び、右手のきゅうりもゴーヤも葉が黄色くなり始めました。

  ・・・が、次の作物が無いので、追い肥をして長持ちさせています。2008092003

 ゴーヤはこちらの(→)写真のように、まだ花が咲き、身もまだしばらくは期待できそうです。

鉄道のこと(5) 北海道ひとり旅③

 2008092105_2 札幌から函館へ向かう途中に立ち寄りたいところが2ヶ所ありました。昭和新山と大沼公園です。

 昭和新山は小学校の頃、社会の教科書に出ていて、一度はどんなところなのか見ておきたいという比較的単純な動機で、見た後もなるほどね、という印象でした。

 大沼は、ガイドブックで見た駒ヶ岳の美しい姿にここはぜひ見ておきたいと思ったからです。こんな絵のような山の姿が本当にあるのだろうかと思ってましたが、冬の晴れ渡った空の下の白い秀麗な姿は、言葉もなく見惚れるほどでした。

 簡易保険保養センター(今ではかんぽの宿と言うようですが)の安さと設備のよさに注目し、大沼で一泊。寝台車とそう変らない金額で温泉と二食付でした。

 そして、その日に乗車したSLに引かれた普通列車は、長い北海道の旅でも最初で最後でした。
 蒸気機関車の独特の走りや汽笛の音は、乗った者にしかわからない力強さと優しさを兼ね備えていました。このとき以来35年間、一度もSLに乗ったことがありません。最後のSLでした。

 (今回の写真は、当時のLPのジャケットから拝借しました)

 

鉄道のこと(4) 北海道ひとり旅②

  20080921 札幌と各地(函館、稚内、網走、釧路)の間は、夜行の急行列車が走っており、大体22時頃出て、朝6時頃到着するというダイヤでした。函館を除いて寝台車が連結されており、周遊券を使うので寝台料金1400円だけ払えばよく、旅館素泊まりと比べてそう高くはないかと、稚内→札幌に始まり、何度も寝台車を利用しました。

  ちょうどこの時期に、国鉄(現在のJR、当時は日本国有鉄道でした)の労働組合が「順法闘争」というのを北海道全域で行っており、ホームに差し掛かると異常な徐行運転を繰り返す・・・といったパターンでダイヤは大幅に乱れ、到着が大体3時間くらい遅れました。

  列車をホテル代わりにするマジメ学生にとっては、大変ありがたい話で、9時くらいまでゆっくり寝台で寝ることが出来ました。10時間近く眠れて着けば目的地という、快適な列車ホテルでしたね。
 
  こんな調子で稚内から札幌へ戻って、札幌市内や小樽など周辺をうろうろし、そして次は網走往復寝台車の旅、さらに札幌から釧路・根室往復と、札幌を基点に四方へ足を伸ばしました。

  稚内からの真っ白な樺太、網走の流氷やマイナス10度以下の世界、根室からバスで向かった納沙布岬の荒涼とした風景とそこで出逢った人々などなど、初めての北国での体験が少しだけMAJIME学生を大きくしたような気がします。

  ただその一方で、やはり同じ日本、どこも同じ世界や風景が存在しているし、寒いといっても自分でも充分暮らしていけるなと思ったりもしたものです。

  今回の旅は、あくまで鉄道に乗る旅というつもりだったので、観光地として名の知れているところでも鉄道で行けないところ・・・知床や摩周湖や襟裳岬などは全てパスしました。

  寝台車5連泊の鉄道ひとり旅もそろそろ一区切りかなと思い始め、札幌から少しずつ南下していきました。
      (写真はイメージです。あと1回だけ続きます)

久々に庭の花を

 2008091503 ブログ右側のプロフィールの下のところに、画像を貼れるようになっており、庭の花を二日おきくらいで変えていましたが、久しぶりにブログのほうで紹介します。

 まず春先から活躍しているブーゲンビリアです。ピンクの花が散ってもう終わりかなと思ったら、また同じように咲きます。もう4回目くらいですね2008091504

  次は、ペンタス。梅雨時から咲き、真夏もあの猛暑にもめげず、涼しげな雰囲気を与えてくれました。そして心もち涼しくなったら、さらにぐっと成長した感じです。

2008091505 そして今日買ってきた、きき2008091506ょうとガザニ ア。鮮やかな色合いが初秋にもよく似合いそうです。

 

  

2008091507

  全体的にはこの写真のような感じですが、そろそろ秋冬ものの準備をしないと 10月以降さびしい階段になってしまいます。今ががんばり時ですが、“夏ノ暑サニ負ケ、日々ノ忙シサニ負ケ”という感じで、なかなか宮沢賢治さんのようにはいきませんね。

鉄道のこと(3) 北海道ひとり旅①

 冬のさいはての地を見つめてみたいと、大学3年の終わりの頃、北海道ひとり旅に出かけました。1973年2月下旬だったと思います。

2008090402  3年で異常にふんばってまとめて単位を取り終え、学生生活も一区切りついた気分になり、4月から就職活動の始める間のエアポケットのような時期でした。

 北海道周遊券を目いっぱい活用し、お金をかけない旅を・・と考えてはいましたが、当時一般的だったユースホステルは全く考えず、ほとんど列車ホテルにしよう(夜行列車利用)という心積りでした。

 まず、寝台列車で上野から秋田へ。そして青森から青函連絡船で函館へ。4時間半くらいの船旅でした。初めて目にした北海道の山々は、氷山のように真っ白でした。
 函館からは、夜行で札幌へ。急行列車の硬い座席でしたが、若かったせいかそれなりに眠れるものです。

 札幌市内は寒いとは言え、意外に雪は少なく、時計台やレンガ造りの北海道庁、北大のポプラ並木などをガイドブック片手に歩き回りました。
 どこも写真の通りの風景だったので余計に、はるか遠い存在だった札幌へとうとうやってきたぞ、という感慨がありましたね。昼からビールを飲み、稚内行きの急行に乗りました。

 さすがに車中3連泊はきついので、稚内の少し手前にある豊富駅近くの安い旅館に一泊。深い雪道を歩いてたどり着いた旅館は、石油のにおいのする不思議な温泉と普通の食事だけが記憶に残っています。

 翌朝、銀世界の稚内市内の丘の上から真っ白な樺太を眺め、はるばる北の果てまでやってきたなあと、いつもとは違う旅ごころを感じたのを思い出します。  (続く)

鉄道のこと(2) 時刻表との出会い

 2008091401
  旅ごころから始まった鉄道マニアへの傾斜でしたが、時刻表を愛読するようになったのは、中学の頃から何度も読んだ松本清張さんの「点と線」の影響が大きかったと思います。今日この小説を読み返してみて、あらためてそう思いました。

  この推理小説は、「昭和32年の列車、航空機のダイヤによる」とありましたが、新幹線もジャンボ機も無かった時代ながら、結構交通機関は発達していて、東京駅の13番線ホームから15番線ホームを見通せるのはわずか4分間だけということや、飛行機と列車・青函連絡船などを組み合わせたとてもマニアックなトリックは、マジメ少年の時刻表への好奇心をじわじわと育んでいたようです。

  列車から眺める安曇野や相模灘などの美しい風景に、朔太郎の詩を重ねて旅ごころを感じる一方で、テレビも冷蔵庫も無い(もちろんエアコンも洗濯機も電話もありません)一人暮らしのアパートで、時刻表をあちこちめくって、小説とはまた違ったわくわく感を味わっていました。

鉄道のこと(1) 詩と旅ごころ

2008091300  「若い頃は結構な鉄道ファンだったんですよ」と職場で言うと、一様にえーっと驚かれます。

 MAJIME中年にはそんな面影が感じられないのでしょうが、いま風に言えば、それなりに熱心な「乗り鉄」(興味を持ったいろんな列車を調べ、乗車する)であり、
「時刻表鉄」(時刻表を隅から隅まで読んだり、時刻表での仮想旅を研究する)でした。

 この一つ前のブログに書いているように、高校卒業まではほとんど鉄道に縁がなく、比較的時間にゆとりのあった大学時代に鉄道に傾いていきました。
 鉄道のいろんな思い出について何回かに分けて書いていきます。

 最初は理屈ぬきに移動の手段だったのですが、やはり読書を通じて感じた旅のロマンみたいな雰囲気の影響を受けたようです。

 萩原朔太郎の詩の一節が妙にこころに残り、「そうだ旅に出よう、鉄道に乗って・・」と思いました。大学1年の頃です。旅ごころの始まりかもしれません。

 ふらんすへ行きたしと思へども
 ふらんすはあまりに遠し
 せめては新しき背廣をきて
 きままなる旅にいでてみん。
 汽車が山道をゆくとき
 みづいろの窓によりかかりて
 われひとりうれしきことをおもはむ
 五月の朝のしののめ
 うら若草のもえいづる心まかせに。」(旅上)

しののめちかき汽車の窓より外をながむれば
 ところもしらぬ山里に
 さも白く咲きてゐたるをだまきの花」(夜汽車)

昭和45年の東京(4)

 2008090700
  愛媛宇和島で18歳までを過ごした私には、鉄道といえば気動車、ディーゼルカーでした。つまり全く電化されてなかったわけですね。
  小学校の修学旅行では、何とSLで宇和島から松山まで5時間近く乗った記憶があります。トンネルに入るたびに窓を閉め、トンネルの数を数えたりしていました。「3丁目の夕日」のような世界です。東京オリンピックの前の年のことでした。

 そんな田舎から初めて出てきた東京での、マ2008090701ジメ大学1年生の鉄道との出会いをいくつか。

 その1) 音もなく動き出す電車に驚きました。ディーゼルカーは ガガーとエンジン音をとどろかせ車体を震わせるようにして動き出すのが当たり前と思っていたので、宇高連絡船で高松から宇野へ渡ってすぐに乗った宇野発新大阪行きの急行電車の静かな発進は驚きの始まりでした。

 その2) 車掌さんが発車の時に吹くホイッスルのけたたましい音にもびっくりしました。ピーっという音は今ではあまり聞きませんが、あのころは警察官でもいるのかと思うようなカゲキな音で、どこでもそうでした。冬の京都で、近鉄や京阪電車で同じように驚いたものです。

 その3) 山の手線がホームに入ってくるときのスピードにも驚きました。ゆるゆるとホームに入るという田舎の風景しか頭に無かったので当然なのでしょうが、60キロくらいでホームに入り始め、減速して10両(当時8両?)をぴたっと定位置に停車させる技術にも感心しました。

 その4) 秋葉原とか渋谷で電車の通っているほうを見ると、まるでビルの中を走り抜けているように感じて、東京では電車も高速道路もえらい場所を通っているもんだなあと不思議に思ったものです。

 その5) 1年から3年の時まで、巣鴨から高島平まで部分開業していた都営地下鉄で通学していましたが、駅から駅までの間、車掌さんがにこやかな声であれこれ案内を語り続けていました。
 当時の国鉄は、「次は巣鴨、ブツッ(マイクの切れる音)」といったぶっきらぼうな車内放送だったりしたので、余計にその丁寧さを新鮮に感じたのかもしれません。

 こんないろんな体験のせいか、時間的余裕のせいか、マジメ大学生はいつしか鉄道ファンに変っていきました。いま風に言うと、「鉄ちゃん」ですね。

(掲載した画像は、「城下町宇和島から」サイトの管理人さんからいただいたものです。予讃線の終着駅である宇和島駅周辺の雰囲気を感じ取っていただければ幸いです)

野菜の花を3つほど

 2008090601 1週間ぶりに畑に行ってきました。夏野菜はピークを過ぎ、鴨川自然王国会員の方々のブログを拝見すると、着々と秋冬野菜の準備へ移っているようですが、当方はまだまだ真夏気分です。

 少し時期をずらして植えたせいもありますが、写真は上から、オクラ、インゲン、青シソです。
 
 オクラは、花が思ったより大きくきれいですね。こんな形でオクラが育っ2008090602ていることも驚きでした。

 インゲンの花の白さもいいですね。実がついてくれるといいのですが・・・。

 青シソは、まだ咲き始めたばかり2008090603で、白っぽい感じです。刺身のつまに出てくるような花の色合いにはまだ時間がかかりそうです。 2008090604_2

 右の写真は今朝の収穫です。一週間前と微妙に違います。
 いつもながら、野菜の色合いに感心しています。

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