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2008年8月

ロシア語のことなど(4)

 200808312 翻訳家のような名訳は出来ないまでも、辞書を引けばおおよその意味がわかるようになってきて、ロシア文学に少し前向きになりかかったのですが、また難問が出てきました。

 と言うのは、ロシア語だけでは読めないのですね。19世紀のロシア貴族は、格好つけて日常的にフランス語で会話をしていたようで、トルストイの小説にチャレンジしようと思ったら、ロシア語だけでなくあちこちにフランス語が出てきました。
 ヨーロッパ原語は、国が違っても言葉は日本の方言くらいの違いしかないとは言われますが、新たにフランス語を勉強するのはそう簡単な話ではありません。やっぱりロシア文学を原語でというのは無理だなとあっさり諦めました。

 3年になると、大きく分けて、ロシア語そのもの、文学、ソ連事情研究のどれかに重点を置く ようになります。これまで書いてきたように、このややこしいロシア語そのものは気が変になりそうだし、文学は上述の通りだったので、3番目のソ連事情というあたりを勉強してみようと考えました。

20080901 3年の時は広く浅く授業を選び、マジメに勉強しました。比較的興味を持った授業は、ソ連憲法を原語で読む授業、スターリン時代を批判的に研究する東大助教授菊池昌典さんの授業、ソ連の農業集団化関連、東洋大金岡教授のインド思想史・・・。

 もちろん、ロシア語演習などロシア語関連もちゃんと受講しました。作文中心の演習は今でも記憶に残っており、マトリョーシュカ(Матрёшка)の説明文など、今でもすらすら出てきます。3年の時だけは、「優」がいっぱいありましたね。

 卒論を書かないコースを選べば、4年次はほとんど学校へ行かなくてもいいところまで単位を取り終わりました。 

古田さんの絵の個展のことなど

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 昨日、野球の応援の後、神楽坂で始まった「古田恵美子・自選展」に行きました。
 東京ドーム周辺はずいぶん混雑していたし、スポーツ心から芸術マインドに気持ちを切り替えるのに歩くのもいいかなと、神楽坂駅近くの「セッションハウス・ガーデン」という会場まで20分ちょっと歩きました。

 古田さんは、何回かこのブログで紹介している同級生画家森本さんの画家仲間で、3年ほど前に出会った方です。
 今回は、「北の大地で生まれた古田さんの足跡が垣間見られる空間」とのことで、ずいぶん昔の作品から最近のものまで、130号の圧倒されるようなものから、4号のかわいいものまでずいぶん多くの作品が展示されており、素人ながら古田さんの来し方を少し感じることが出来たように思います。

 実は、私の勤務先がこの個展会場から徒歩10分くらいなので、明日以降もう一度ゆっくり見てみたいなと思っています。

*************

 偶然ですが、昨日8月30日には、鴨川自然王国の農業仲間の方が、大山千枚田近くに家を新築され、そのパーティにも招待されていました。私は仕事関連もあって、野球応援のほうを優先しましたが、パーティに参加した方々のブログを拝見すると、とても盛り上がったようです。
 http://chibasika.cocolog-nifty.com/blog/
 http://d.hatena.ne.jp/shizenoukoku/

 完全手作りの、平屋建てで囲炉裏もある家・・・。ずいぶん見晴らしのいい500坪の土地で、畑、田んぼ、果樹、養蜂・・・農的生活そのものでうらやましいですね。
 

都市対抗野球応援

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 昨日、都市対抗野球の応援に行ってきました。去年の今ころも同じようなことをブログで書いていますが、ドーム内外ともにプロ野球の時とはどこか違った和やかさとある種の統制感のある雰囲気を感じました。

 都市対抗野球独特のものとして、補強制度というのがあります。
 その地域の他チームの有力選手を5人まで自分のチームに入れることができるというものです。 

 えー、何という制度と思ったりもしましたが、地域対抗なのだから地域のメンバーでチーム補強するのはありかな、と何となく納得しました。

 今回も応援したチームが勝ったので、また応援に行く機会がありそうです。

今朝の畑のこと

  今年になって始めたばかりの素人家庭菜園のことをあんまり書いてもね、と遠慮していたのですが、そういうリクエストを直接お聞きしたりすると、そうか30年以上前の思い出話なんかよりよほど期待されてるんだなとマジメ中年は思い知り、あつかましくまた畑のことを書きます。

 2008083001雨が続いたせいか、この一週間で野菜たちはそれぞれに成長していました。雑草も・・・。

  全体的にはこの写真のように、左手前のインゲンが急成長、あちこちの青シソも新しい葉を増やし、ミニトマトもまだまだ健闘、右手奥フェンスのゴーヤは今が盛りという感じです。
 
2008083002 そのゴーヤをアップにしてみました。黄色い花がまだ咲いていますから、収穫もあとしばらくは期待できそうです。

 
  
  本日の収穫です。それぞれの野菜のさり2008083003げない成長と、その鮮やかな色合いに感心しています。少し野菜の自給率が向上する週末です。

昭和45年の東京(3)

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 四国と東京の食べ物の違いは、時間が経つにつれ慣れて来ましたが、外を歩いていてどうにも息苦しい気持ちが抜けませんでした。

 あれこれ考えていてふと思ったことは、そうだ、東京では山が見えないからだ、ということでした。それまでの自分の身の周りには、常に山がありました。外に出れば山が目に入ることが当たり前の世界から、どこまで行っても山の無い砂漠のような東京。
  
  山が見えない、山が見えないと、何か落ち着かない時期が続きました。山を見るために、八王子や小田原まで出向くようになったのは、上京して半年以上経ってからのことでした。

 写真は、宇和島市の街の真ん中にある宇和島城から見た市内の様子です。どこ見ても山がありました。

 やっぱり自分の中では、これが自然な日本の風景ですね。

昭和45年の東京(2)

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 意外にも青空があった東京でしたが、やっぱり愛媛の生活とのギャップはたくさんあり、上京当初はちょっとおかしくなりかかったものでした。

 まず食べ物です。
 初めての立ち食いソバ屋は、東十条駅の北口出たところにありましたが、そのソバつゆの色に唖然としました。愛媛では讃岐うどんと同じで透けて見えるようなつゆだったので、どうしてこんなしょうゆ漬けのうどんを・・・と思ったものです。

 巻き寿司もそうでした。愛媛では太巻きが当たり前だったものですから、かんぴょうやたくあんだけを巻いた細巻きには、こりゃサギじゃないかと思ったりしました。
 こんな食生活のため、上京して1ヶ月で何キロもやせたような記憶があります。

 美味しんぼのコミックで、東西食文化比較のような企画がよく出てきますが、なるほどと思うことばかりです。

昭和45年の東京(1)

 2008082805 大学時代に少しマジメに勉強したロシア語について3回ほど書いてきましたが、大学へ入って、初めての東京での一人暮らしを体験しました。
 
 四国の片田舎から出てきた東京でのカルチャーショックなどなど、思いつくまま振り返ってみます。団塊世代の方々ならいくらか共感いただけるところもあるのでは。

 入学試験のため、愛媛宇和島から、急行列車(電化してないので電車ではありません)、宇高連絡船、寝台特急瀬戸号を乗り継ぎ、16時間ほどかかって初めてやって来た東京の第一印象は、“意外にも青空がある!”ということでした。

 高村光太郎さんの智恵子抄で、“東京に青空はない”というイメージが強かったのでしょう。王子駅前の飛鳥山公園から見た空は、雲一つ無く真っ青でした。なんだ、東京にも青空があるんだとマジメに思った、18歳のマジメな高校3年生でありました。

  (写真はイメージですが、ほんとうにこんな真っ青な空でしたね)

昭和40年代の車のこと

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 ゴーンさんの改革で劇的によみがえった日産は、フェアレディやスカイラインGTRを復活させ、それはすばらしいことと思ったのですが、あのスタイルはどうも好きになれませんでした。あれは違うなという思いがあって、何となくもやもやしていたのですが、この本を読んでなるほどと納得しました。

 昭和40年代の車は、今よりもスタイルが洗練Fairladyされており、どこかワクワクさせるものがあったように思います。単なる青春の記憶と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、具体的に写真でお見せしたいと思います。

 Skylineまず、昭和42年のフェアレディ2000。

 続いてスカイラインGTR。一見、普通のセダン風でありながら、精悍さがさりげなく輝いていたよう に思います。

これらに比べて、今のフェアレディやスカイラインは没個性的という印象で、こころ揺するものが感じられないのですね。

 そして、もう1台紹介します。トラック専門になってしまった日野自動車の「コンテッサクーペ」。
 リアエンジンリアドライブというのもユニークでしたが、このスタイルのすばらしさは、今でも十分通用すると思います。Contessa

  勝手な中年のこだわりなので、あまり昔の車に興味のない皆様はさらっと読み飛ばしてください。

ロシア語のことなど(3)

2008081901 ロシア語のアルファベット、名詞や形容詞の変化について書いてきましたが、もう一つ頭を悩ませたのが、動詞の語尾の変化です。

 英語だと、動詞の変化は、現在形は三人称単数に“s”をつけることだけ、過去形は一つだけですね。  これがロシア語は、とんでもなくいろいろあります。
 
 わたし、あなた、彼・彼女、私たち、あなたたち、彼ら・彼女らの6パターンの主語により、動詞が変化します。一つの動詞につき6つの変化を覚えなければなりません。
 
 過去形はл(エル)を動詞の後につけるのですが、これも主語が男性、女性、中性、複数かによって、л、ла、ло、ли、に分かれます。
 もちろん規則性はあるので、気が遠くなりそうな話ではないのですが、いろいろ重なってまるで迷路のようでした。

  これらの基礎を少し理解して、やっと辞書引きながら原文の意味をなんとか理解できるようになったのは、約1年後でした。

 写真は、チェーホフの「かもめ」など4大劇の原語本です。意味が大体わかってきても、きれいな日本語に訳すのは至難の業だと思い知りました。
 以前に紹介した神西清さんの翻訳のすごさを痛感しました。

   (断続的にロシア関連の思い出は続きます)

8月15日過ぎて

 2008081701
 北京オリンピックのせいか、終戦記念日のことについては例年より地味な感じではありましたが、それでも、63回目の記念日を迎え、マスコミではいろんな報道がされていました。 

 わたくし、MAJIME中年も、戦争についていろいろ思うところはありますが、このブログはそういう思いを伝える場ではないと考えているので、特に触れていませんでした。

 1月3日の日記で「よく見に行くサイト」として、郷里の知人である片山一行さんのことを紹介しましたが、片山さんは、去年の10月から愛媛新聞の「四季録」と言うコーナーの毎週金曜日を担当されています。
 8月15日の四季録で片山さんは、「終戦忌」というタイトルで、ご自身の思いを語っていました。同世代として共有する思いでしたので、ここにその一部をご紹介します。

  “同時にここ数年、あの戦争がいろいろな形で見直されている。確かに時代は移り、価値観も変わった。だからといって「戦後教育は間違い。戦争否定は自虐史観だ。戦争は正しかった」と言うのは、どこかおかしい。戦争は、さまざまな原因で起こる。互いに言い分もあるだろうし、実際に明らかに片方に非がある戦争も多い。それでも、戦争はあってはいけないと思うのだ。

  この四季録の原稿は、片山さんのホームページに第一回目から全て掲載されています。興味のある方、同世代の方、同郷の方々は一度覗いてみてください。

http://homepage2.nifty.com/ikko-k/

第139回芥川賞のこと

 2008081602
 それほど文藝春秋誌のファンではないのですが、芥川賞が掲載された時は必ず買って読みます。

 今回の受賞作品は、楊逸(ヤンイー)さんの「時が滲む朝」でした。
 受賞作よりも、各選考委員の選評をいつも興味深く読むのですが、今回のように評価が極端に別れるというのは、ちょっと辛いですね。

 青山七恵さんの「ひとり日和」を例外として、いつも否定的評価の印象しかない政治家兼作家の委員の方はともかくとして、普段よく読んでいる宮本輝さんや村上龍さんが賛成しないというあたりで、少々読む気力を失いそうになりました。  

 が・・・読んでみると、さすが芥川賞受賞作品と感じました。
 天安門広場事件の頃の青春が、時代の流れの中でどう移り変わっていくのか。理想的でもなく、絶望的でもなく、いろいろな人々との関わりの中でどっこい生きているという主人公の暮らしの風景は、文学でしか表わせない世界ではないだろうかと思いました。

 “単なる風俗小説”、“価値ある情報が無い”、“あまりにも陳腐”・・・・と厳しい言葉が選考委員から発せられていますが、多くの読者は、もっと多面的に感じ取る力や感性を持ち合わせていると思います。

ロシア語のことなど(2)

 ロシア語のアルファベットのことを前回書きましたが、細かいことはともかく、あの独特の字体だけイメージしてもらえば十分です。
 Д(デー)とかЯ(ヤー)とかは、意外にもメールなどの絵文字に活用されているようですね。

2008081601kamome_3  (この画像は、チェーホフの「かもめ」の一部です。クリックしていただくと文字が鮮明になります。)

 さて少し授業が進むと、次に英語との違いにとまどうのは、名詞が男性、女性、中性、そして複数の4つに別れること。ヨーロッパ系言語はみんなそうですが・・・。
 名詞の分け方はやや大雑把に言えば、ナターシャみたいに、アで終わるのが女性、プーチンとか子音で終わるのが男性、オーで終わるのが中性名詞です。
 複数を表わすのにも、英語のように語尾に「s」をつければいいというわけにはいきません。
 
 さらにため息が出るのは、名詞は6つの変化形があります。(主格、生格、与格、対格、造格、前置格)。複数もあるから、ひとつの名詞が12通りに変化することになります。

 名詞の変化に対応して、これにかかる形容詞も語尾が変化します。と言うことは形容詞は、男性・女性・中性・複数の4つの名詞の6つの格変化に応じて語尾が変わる・・・つまり形容詞は24通りに変化することになります。

 もちろん規則性がありますから、ある程度パターンを覚えればそう気が遠くなりそうなことではないのですが、頭の体操のようなところはかなりありますね。

 率直に言って、この国は全体として勤勉な国民性とはとても思えないのですが、言葉は恐ろしく几帳面で複雑な印象です。 (また少し続きます)

ロシア語のことなど(1)

 大統領の任期満了に伴いプ-チン大統領が格下の首相に就任し、これまででは考えられないような若手を大統領に抜擢しつつ、従来の影響力を保ち続けるという、相変わらず不思議な国ロシア。
 まるで総理が官房長官になるような、普通では考えられない人事なのですが・・・。
 
 かつて、ちょっと(かなり)あやしげなソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)という超大国があり、ロシア共和国はその主要な構成メンバーでした。

 2008081001 ロシア語といえば、昔はソ連全体だけでなく、東欧でも公用語となっているかなりポピュラーな言語という感じでしたが、そのあやしい世界の言葉とはそれほど深く考えずに、語学専門の某大学ロシア語学科に入りました。それはもう40年近く前のことになります。

 1980年台終わりに東欧、ソ連が相次いで崩壊しましたが、その時にはそれほどの感慨はなく、ただ、ソ連に関することやロシア語などは化石になってしまった、考古学の領域になった・・・と思ったものでした。
 しかし、ソ連を構成していたロシア、ウクライナ、ベラルーシなどそれぞれの共和国はどっこいしっかり生き延びているようです。

 
 学生時代のロシア関連の雑多な思い出などを断片的に書いていきます。
 2008081002第一回目は、ロシア語の難解さパート1です。

 ロシアに興味持つ若い人に時々出会いますが、よほど必要に迫られない限り、なるべくロシア語は勉強しないほうがいいよとアドバイスしています。

  大学1年の頃は、上の写真にあるような英語とロシア語で書かれたテキストで勉強したのですが、それなりにきちんと勉強してきた英語との違いに気がおかしくなりそうでした。

 まずアルファベットからしてそうです。英語を裏返したような文字もあるし、英語と形は同じで読み方が全然違うものもいろいろ。
 
 たとえばNを裏返したような文字Иは、イーです。Rをひっくり返したようなЯはヤー。ロシア語のHはエヌ(N)で、同じくBは英語のV、さらにГ(ゲー)とかЖ(ジェー)など、これ何???という感じでしょう。近い英語は、GとJです。
 
 この画像には出てきませんが、Pはなんとロシア語ではエルと称し、英語のRなのです。Cはエスと称します。だから旧ソ連を表わすCCCPはエスエスエスエルと読みます。

 アラビア語とかタイ語のように完全に字体が違えば1から覚えるのですが、なまじ似通っているだけに、神経衰弱になりそうでしたね。

 そんなアルファベットの戸惑いからロシア語の勉強が始まったような記憶があります。
   (断片的に続きます)

 

早朝の畑で

 2008080901 とにかく暑いので、畑には早朝に行くことにしています。夕方は蚊が多いので、早起きが一番です。

 しばらく前にダメかもと思いながら種を蒔いた葉大根が、この写真のように成長してきています。
 そして少し後ろのほうに見えるトマトは、調理専用の品種らしいのですが、これも予想以上にたくさん実が付きました。
 ここでも大地の底力を感じ2008080902ます。

 さて、右の写真は朝の収穫物。写真見ても面白くもなんともないと言えばそうなのですが、やはり取れたての野菜のつやや色合いはちょっと違うような気がします。

 畑をやってみて実感できたことがいろいろありますね。 

アトリエ夢彦のこと

 20080802yumehiko
 帰りに蓼科高原で立ち寄った「ピーター」というこだわりの手作りウィンナーの店の隣に、ちょっと気になるショップが出来ていたので、覗いてみました。

 左の案内にあるように、「アトリエ夢彦」というお店で、革製品作って45年というプロ中のプロ、田村夢彦さんの作ってる革の作品が並んでいました。2008080201

 通販生活の紹介記事が置いてあり、昔こんなバッグが紹介されてたなあと思い出しました。

 田村さんは、5万個以上の革製品を作ってきて引退され、昨年8月に、別荘のある蓼科に移り住んっで、ここにお店を出したとのこと。

 右の写真のスリッパのアクセサリーは、同居されている90歳になるお母さんが、バッグを作った革の余ったところを使って作ったそうです。実にお元気ですね。

 
 丁寧な手作り製品の小銭入れとともに、このアクセサリーを買いました。

 思わぬところでさりげなく生きているプロに出逢いました。蓼科もいろんな発見がありました。

最近の高速道路は

 20080803sunflower 首都高速と中央高速を往復500キロくらい走りましたが、どうも例年と様変わりしてるなあと感じたことを少し書きます。

 飛ばす車を見かけなくなりました。大型トラックも皆さん地味に100キロ以内で走っています。すごいなーという走り方は1台だけでした。
 
 昔は、そこのけそこのけとばかりに、ほとんどががんがん走っていたように記憶していますが、どうしたものなんでしょう。やっぱり軽油の高騰の影響で、効率的運転をせまられているのでしょうか。
 「覆面パトカー警戒中」みたいな看板が出ていましたが、これは昔からのことだし、そう考えるとやはり経済的動機が一番のように感じます。

 バスも、一般の乗用車も110キロ以内で走る車がほとんどでした。おかげで安心して走れましたが、燃料の高騰はこんなところにも影響してるようです。

(写真は、蓼科から見た八ヶ岳連山です。いつになくくっきり見えました)

キルティングアート展のこと

 火曜日から夏休みをとって、蓼科へ行ってきました。観光地には全く行かずのんびり過ごしました。いくつか報告します。

 2008080201 東急リゾートタウン蓼科にある「せせらぎ館」で開催されていた「米倉健史~キルティング2008080202アート展」が目にとまり、ふらりと立ち寄りました。
 
 入ってすぐの一枚の絵を見て、布を使った実に細やかで優しいイメージに引き込まれました。こういう出会いは不思議なものです。

 キルティングアートとは、布を使った絵を表わす造語だそうで、50 0色の布を染め、それ2008080203を使って手作りするのだそうです。

  作品はちょっと手が出なかったので、カレンダーと作品集を買いました。このカレンダーのサイズやデザインは、昔のLPレコードのイメージですね。それにしてもレコードを知らない世代が多くなってきました。
 
 米倉健史さんは、もう33年もこのアートを手がけているとのことでした。帰ってきてネットで米倉さんのホームページを拝見して、これはすごいな・・・と感心しています。
 箕面市にアトリエをお持ちで、全国で個展や教室をされてるそうです。  http://www.qaf.jp/

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